坂井紅介/Benisuke Sakai
2009年09月
合奏計算式  (2009.9.16[Wed])

合奏ネタ〔第3段〕です。


ある先輩が言っていた、

「100持ってる人間が、
80%で臨めば、
残り20で周りを見る余裕が生まれる。

80しか持っていない人間が、
100目指して必死こけば、
そりゃあ、
周りなんか見れなくて、
まぐれ当りするか、
グシャグシャにするだろう。

80ぐらいで行きたいよね。

マイナー(短調)の曲も、
100%暗いんじゃ、、、
夢がないもんねぇ〜」



80で臨めば、
空白の20に誰かが補充したりして、
面白いことが始まるかもしれない。

あるいは、
空白20を余裕持って味わえるかもしれない。

相手の20に、
自分の世界を注ぎ込んであげられるかもしれない。

場合によっては、
みんなで注ぎ合うと、
一気に400越えたり。


たった一個のサポートが、
人を二倍に元気にしてくれることもあるし、

この合奏計算式は、
また暇な時にでも遊んでみよう。

我々ベーシストは、
1音でバンド全体を支えられると信じて弾いている。



ところで、

今、自分はいくつ持っているんだろう?



・・・。



60? 80?



4だったら悲しいな。



その可能性もあるよな。。。



シェーッ !!!





91才になるHANK JONESさんの言葉、

「今でも毎日最低2時間は練習する。

まだ、うまくなりたいからだ。

これまでに
『ベストプレー』をしたことがないんだから」。


名匠の発言。


うぅっ、練習いたしまするぅ〜〜〜



さて、今日もまた、
寄り道を。


ジャズ研へ顔を出して、
バンドクリニックをしていると、

ベースソロになった瞬間に、
ピアノが弾くのをやめた。

どこのジャズ研でも見られる光景。


後で理由を聞くと、

「ベースソロの邪魔になるといけないので、
やめました。」


邪魔にならない人生を選ぶのかぁ、お若いのに。

人の役に立って関われる未来もあるのに、、、



いろんなセリフが浮かびます。


「あなたの出す音で、
ベーシストを邪魔するかもしれないし、
喜ばれるかもしれない。

どちらになるかは、
出してみないと始まらない。

あなたのソロの時、
ベースやドラムはサポートしていた。

あれは、邪魔だった?素敵だった?

自分のソロの最中も、
彼らのサポートをしっかり聞けて、
「ありがとう」とか言えたらいいね。

もっと面白い音世界に向かって、
一緒になって挑戦できたら、
すごいよね?

彼らが、もし、
さっきのあなたと同じように、
「あなたのソロの邪魔をしたくないから」と言って、
サポートを毎回やめていたら、
あなたは何と思うんだろう?

交際拒否宣言?(笑)

先は無いよね?


まず、相手の話を聞くというのは、
素敵なスタンスだと思うけれど、

無言を決め込むっていうのは、、、
優しさかなぁ・・・?



約束ごとが少ないジャズに、
リスクは付き物。

そこがスリリングだし、
個性がシェイクされて、
とんでもない世界が出現したり、
毎回新しい発見がある。

自分と違う感性の人と創るんだから、
いつもの自分を越えられるチャンスでもある。

やってみようよ。

何が生まれるか。

世の中の出会いと同じだよ。

音楽はそれよりも毎回が新鮮!


僕らは、音楽で会話しようと集まった。

明確に表現したり、
相手の言っている音を理解できるようになるには、
時間もかかるけれど、

関係していこうよ。

気持ちは相手をしっかり向く。
逃げない、
照れない、
拒絶しない。

レギュラーメンバーなんだから、
仲間のサポートは私が一番上手にできる!
そのくらいの意欲を持てたら、
その信頼感は大きいよね〜

そこに至るまでの試行錯誤は、
アリでしょう。


(笑う場所です。
笑いながら真剣に考えましょう。ニコッ)


ドラムの8バースも同じだよ、

8小節ずつで渡し合うって、
心のキャッチボールを始めるチャンス!

心だよ!
Barじゃない。


あなたのその音が、
仲間を支え、
バンドを生き生きさせ、
聞く人に、夢や元気や幸せを感じさせる。

きゃあ、素敵〜〜〜♪


・ー・ー・ー・ー・ー・


でも、

プロのジャズミュージシャンでも、
ベースソロのバッキングをしない人もいます。

その人達の意見も聞いてみて下さい。

そして、

私に内緒で教えて下さい。(笑)



バラードでベースソロになり、
ピアノもドラムもバッキングをやめた時、

サックスの峰厚介さんは、
私の横に近づいて、

白丸全音符でバッキングを始めました。

息音の混じる、
そのピアニシモの豊かな音は、

フルオーケストラのような包まれ方と、
大自然の広がりがあり、

至福のベースソロになりました。


その曲終わって、
峰さんも私も、
ニッコニコで握手しました。



自己主張は音楽になります。

生きる姿勢も音楽に表れます。

合奏は愛がなくちゃできません。

私は、そう信じます。



「お〜い、みんな!


愛し合ってるかい〜?


練習もしろよ〜〜〜」


は〜い!


『ゴ〜〜ル!』  (2009.9.13[Sun])

先日の、サッカーネタの、

「ライブセッションでの『ゴール』ってなんだろう?」


変な問いかけに、

真剣な、
そして、
興味深い解答を、

ありがとうございました。


正解は、

ありませんので。ハハハ。


私も、
いろいろ思いを巡らし
遊んでいる中で、

昔、ある先輩が言っていたことを思い出しました。

『何の制約もなく、
自由に演奏する快感は気持ちよいが、
だが、
何をやってもよい場所でも、
どんな音を出したい?という注意力は忘れてはいけない。
プロなのだから、
細心のコントロールで、
その音を出さなければ、
わかる人間が聞けば、
「嘘つき!」とののしられ、
場合によっては、
切腹を言い渡される。』



今日まで、
切腹はお許しいただいてきましたが。



最近、ある先輩が言っていた、
『無制限な空間に音を出すと、
音がぼやけるんだよね。
第一、そんなこと、子供だってできる。
つまんないよ。
プロだったら、
制約があって燃えて、
最大限表現する。
肩幅ぐらいの空洞を想像して、
その中に、音とスピードと内容をギュッと圧縮して通したいね。
そこからはみ出さない。
滲ませない。
だが、中身は濃い。』


各々が、
無限な広がりの中に制約を設定し、
その先のゴールを目指しています。



私も今回、
一つ制約を想像してみました。


お客様を『ゴール』の中に集まってもらい、
そこに蹴ってみた。



次に、

自分を『ゴール』に仮定し、
そこに音を出してみた。



結構、考えさせられることの多い遊びになったのだが、
よろしければ。



ボールを蹴ってみます。

ゴールに、
仲間に、
世界に、
夢に、


コロン、コロン、
コロ〜ン。


生ものですから。  (2009.9.8[Tue])

秋田慎治(P),
鈴木央紹(Sax),
大槻カルタ英宣(Ds)、

ジャズシーンの先頭に立つ精鋭達に招かれ、
共演する機会を得ました。

さすがに、
当たり前に合奏のできる人達でした。

おっと、
誤解のないように先も読んで下さいね。

この、
「当たり前に合奏できる」
ということが、
同じステージに立つ人間にとっては、
とても重要なことなんです。

互いのソロや、
サポートや、グループに感動しながら、
全員で、快感とともに同じ領域にいる。

まるで啓示でもあったかのように、
未知の領域へ移動してゆく。

ジャズミュージシャン冥利に尽きる新世界の中で、
さらなる極みに進んでいける人達との共演でした。

音楽は生きています。
どこにでも行けます。



ところが、この
「当たり前に合奏」しているのを、
最近、巷で、なかなか耳にしない。

「お決まりの個人プレイ発表会」だったり、

う〜ん、なんと書けばよいのか、、、


いつもの支離滅裂な例え話にしましょうか。



ステージを、何かの寄り合いに例えると、
(寄り合いに例えた時点で、
話の内容は制約されるわけで、
これを、手術かなんかに例えれば、
行き先はまた変わってくるのですが、、、
まあ、ジャズのセッションですから、
生死に関わる手術よりは、
酒の入る寄り合いくらいに例えておいた方が、
たずさわる人間としては気が楽で)、



その寄り合いの席で、
「ステラ・バイ・スターライト花火大会」について
話し合おうということになる。


私なんぞ、ゆっくりなペースですから、

「日取りはやっぱし夏ですかね〜、
ちっとばかし涼しい風が抜けたりしたら、いいね〜」
なんて思ってる時に、

一人目の発言者が、
場所・日時・スポンサー・予算・
花火職人・構成・出店・広報・警備・・・、

完璧な(に聞こえる)発言。

みんなで驚嘆の、
拍手!拍手!


続いて、二人目なんか、
作ってきた譜面まで広げて、
また別の場所・日時・・・で、
完璧な(に聞こえる)発言。

みんなで拍手!
溜息まで出る。


結局、
キツネにつままれたような表情の私はソロを辞退し、
各々が発表を終え、
またまた大きな拍手〜!!!

隣のテーブルの人達も、
「なんだか、すごかったね〜」って、
拍手!
握手を求めちゃったりして。

メデタシ、メデタシ、
バッチシ決まったネ!


(「いやいや、決まっていないってば!」)



私:「あのう・・・
それで結局、
日取りは、いつにしましょうか?

まだ何一つ話し合っていないんですけれど・・・?」



・‐・‐・‐・‐・‐・‐・



そりゃあ、
強力魅力的な個人プレイだったら、
私も一度は付いて行きますよ。

一回だけ?
はい。たぶん。ニコッ

だって、
もっと楽しい合奏、
普段、してるもん!



これだけ個人プレイが重要視されて
騒がれるようになったのは、
近年のサッカーから?


「アピールし、」
「結果を残し、」
「応援よろしく!」


私しゃ驚きましたよ。

こんな立派なセリフを、
20代そこそこの若者が言えるんですもの。

私の時代は、スポーツですら、
結果より過程。

負けても「よくやった!」。

ガムシャラでしたし、
結果も客も見えなかったなぁ。



一人だけでゴール目指す意欲は必要です。

きっと音楽も同じでしょう。


変な言い方しますが、
私は、
「最近のサッカー選手の方が、
今のジャズミュージシャンよりも、
合奏が上手な気がする。」


個々人が上手いのは当たり前で、
そのうえに、
フォーメーションの練習を徹底するようになった。

一人一人が情況に応じた動きを、
瞬時に自分で判断し動けるように、
日々練習を重ねている。


一方、私がボヤイテいるジャズのステージでは、
パスすらしてなくない?

ソロイストが順番にPK練習を披露してる。

しかもゴールキーパーもいない。
ゴールは見えているのかい?


パス練習を試合前にしているバンドがあるだろうか。

(今、笑ったでしょう?)

昔は、これに類したことをやっていたんですよ〜。

ここでは書きません。
(内緒〜。笑。)

私が出張してやっている
『紅介リズムおもしろ講座』では、
これに近い遊びも取り入れていますので、
よかったら。(宣伝)



ある夜、ライブハウスに立ち寄って、
バンドを聞いている私は思わず叫ぶ、

「パスをしろ!
いったん戻せ!
焦るな!
テンポをおとして回せ回せ!
サイド攻撃、
付いていけ!
サポートに回れ!
裏だ裏!
今だ!全員攻撃〜!」



サッカー通でもないのに、
初めて思いついたサッカーネタが面白かったので、
もう一つ、



ライブセッションでの
『ゴール』ってなんだろう?









いろいろ思いついたのですが、
書きません。



それでは、みなさん、

さようなら〜〜〜。


Powered by HL-imgdiary Ver.3.00 Beta