坂井紅介/Benisuke Sakai
2008年06月
『お三人さん!出発ですよ』  (2008.6.18[Wed])

私の母は寺の出です。
紅日記がお線香くさいのは、
そのせいです。(笑)

学生時代、鎌倉デートの時など、
(初デートが神社仏閣巡りの彼女もかわいそう)
仏像の顔に見入り、
立ち入り禁止区域にまで構わず入っていって、
彼女に驚かれたものです。

祖母は超能力者でしたよ!
葬儀の電話が入るより先に、
そのかたの霊が玄関にいらしているのを感じていましたから。

私はもちろん、
修業していませんし、
お経も読めませんから。
でも、仏事の作法は見慣れてきましたから、
それなりに絵にはなるようです。

紅日記に、
訃報や亡くなられたかたの思い出を多く書いていますが、
その人達の生前の輝きは、
紹介したいと思っています。
皆さんには無関係な人達ですが、
多くの人に伝え残したいと思って書いています。
その人達の生き様や、
輝きのほんの一端ですが。


今夜の伊藤君子(ペコ)さんのライブで、
久しぶりに、
『SECOND CHANCE』という曲を、
ペコさんが歌いました。
スティーブ・ガッドSteve gaddさんや、
リチャード・ティーRichard Teeさんと周った、
'90のツアーでは、
名古屋の本番ステージ上で、
この曲を歌い終わった時、
ティーさんが顔を涙でグシャグシャにして、
ペコさんを見つめていました。
ペコさんの説明では、
「ティーは私生活でいろいろあった頃だったから、
込み上げるものがあったんだろう」と。
ティーさん逝っちゃったの早過ぎたけれど、
私は、
ペコさんの歌う
「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」や、
「LOVE」(J.Lennon)や、
もちろん、この
「SECOND CHANCE」は、
あの'90ツアーを思い出します。
ハイレベルでゆとりがあり、
ゆったりしているがウキウキするグルーブ。
ひとたびハイパワーになった時の、
まだ余裕あるエネルギー。
ステージ上の温かい笑顔も。
合奏の楽しさ、
精密さを、
教えてもらった気がします。

大阪公演打ち上げ後、
酔っ払って車道に出そうになった私を、
抱き止めてくれたティーさんの、
グチャッと体脂肪の中に包み込まれた感触。
忘れません。合掌。



6月14日は、
下関の溝部学さんの命日でした。
今年は、
その日に下関でライブがありました。
縁、というか、
呼ばれたかな?

ジャズコンサートを一つ実現させるたびに、
持ち家や店を一軒、
また一軒と手放していってるんだよ、
そう紹介してくれたのは、
日野元彦さんや鈴木宏昌さん、
5月メモリアルの二人です。

ジャズ界の私設企画親分、
山口・北九州組長。
元警察官のデカイ体と、
しゃがれた声と振る舞い、
豪快な人でした。

私にとっては、
6月14日までが毎年のメモリアル。
この三人の思い出話を書き終えて、
ようやく紅日記の故人述懐も、
一段落かなぁ・・・

いつも下関行くと、
フグを食べさせに連れて行ってくれました。
闘病中に、ジャズ界裏話を執筆中でした。
家まで見舞いに行った時も、
いつものフグ屋へ連れて行ってくれました。
その時は、
演奏したわけではないし、
本人は一口も食べれなかったけれど、
これが、
最初で最後のご馳走するチャンスかもしれないと思い、
私が、
ご馳走します、
と財布を出したら、
拳固でぶん殴られました。

「お前は、
俺のこれまでの生きかたを
変えさせるつもりか!

若僧の分際で。」

痛かったス。
合掌。

あの時は理解できていなかったけれど、
生き続ける、
意思を示した「拳」でした。


送る人間からすると、
残された者もしっかりやりますから、
どうぞ安心してあの世へ行って下さい、
と送り出すのが成仏ですが、
どうも、あの三人組は、
時たま、こっちへ降りて来ては
ハッパかけてくれてるように感じるのは、
そうあって欲しいと、
大勢が望んでいるからでしょうか。

仏さん達、
お三人さん!
出発だよ。
合掌、合掌。
それとも、
拍手(かしわで)でも打って、
神様にしちまおうか。


東京って、コワイ・・?  (2008.6.6[Fri])

ライブ終了後も盛り上がり、
帰り道、
キリ雨は舞うが、空もすっかり明るくなった目黒通りの朝5時、
前を走っていたタクシーが、
青信号手前からスピードを落として妙な動き。
追い越し車線を走っていたこちらもスピードをおとしていたから、
横断歩道の、車道に一歩出たあたりに人間が倒れ動いているのが見えた。
酔っ払い?
えっ!今のタクシーと接触した?
タクシーは行ってしまったが、
気になって車を停め、
駆け足で戻ると、
座り込んでいる。

B:「大丈夫ですか?
頭打ちました?」

そうすると、
その人間はゆっくり手を後頭部に持ち上げ…、

確かめるように、
頭をさすり…、

首を横に振る。

ふぅ〜安心。

見上げた彼女の顔は
(やっと女性と確認)
可愛いきれいな顔してる。
S:「飲み過ぎちゃったんです。
転んじゃって。
私がいけないんです。」
そう言っている彼女は、ろれつが回っていない。

B:「酔えばみんなそうだよ」
一応フォローしてあげる。

救急車を呼ぶ必要もなさそう。
動かしても大丈夫と判断し、
B:「立てる?
ここ車道だから危ないよ。
あそこで休もうよ」
実際、通り過ぎる車がクラクションを鳴らして我々に注意を呼びかけていく。

ほぼ自力で立ち上がり、
ブロックに座り込む。

B:「ずいぶん飲んじゃったんだね〜
バッグからサイフも見えてるし、
気をつけなさい〜」

一瞬バッグに目を移したが、
すぐにうつむく彼女。

B:「なんか買ってこようか?
水で口ゆすぐ?」

首を横に振る彼女。
見上げて、
S:「いい人ですね」と言って、
涙をぼろぼろ流し始める。
(可愛い女の子に誉めてもらって嬉しいけれど、
悲しい酒を飲んでいたというよりは、
酔い過ぎの「泣きじょうご」でしょう。)

B:「大丈夫?帰れる?
家近いの?」

うなずく彼女。
S:「私が悪いんです。
ごめんなさい。」

(そう謝られても事態は解決しないわけで…)

B:「歩いてどのくらい?」

S:「ウ〜ン、…3分」

B:「手を引いていったら歩ける?」

彼女、首を横にふる。

B:「無理かぁ。
でも、このまま置いていったら寝ちゃうでしょ?
寝たら風邪ひいちゃうよ?」

S:「いいんです。私が悪いんですから。」

(そうじゃなくて…)
酔っ払いミュージシャンを車で送っていったあの頃を思い出す。
できれば早く解決したい。

警察に電話するのもかわいそうだし、
自転車に乗ったお巡りさんでも通らないかなぁ…。

B:「家どっち?
車バックさせてきたら乗れる?
案内できる?」

S:「車乗せてくれるんですかぁ?」
見上げる目。

B:(いいけど車内で吐かないでよ〜)
「どっち?」

彼女が指さした方向に、
悲しいかな、「進入禁止」の標識。

B:「あそこに車入れないんだよ〜。
隣のあの道から入ったら説明できる?」

彼女、首を横に振る。

(あぁ神よ〜、絶望的。)

S:「タクシー呼びますから。
トイレも行きたいし、お腹もすいた。」

B:「タクシー乗ってもあそこは入れないし、
トイレは近くにないし、
お腹すいたのは、食べないで飲んでたのがいけないんでしょう?」

彼女、認めてうなずく。

はっ、と気づく、
B:「今ぐらいはっきり言えるんなら、もう歩ける!
歩こう!今がチャンス!」

私としてもこのチャンスを逃したら、いつ帰れるかわからない。

ちょっと考えていた彼女、
決意を持ってうなずく。

B:「よし、立とう!
偉い、偉い。
つかまって。」

左手に彼女のバッグ、
右手で彼女を支え、
横断歩道を赤になっても渡り切れない二人。
(きっと車の人達は、
「若い女の子を泥酔させるまで飲まして、
あのエロオヤジ!」
なんて思われてんだろうな〜。
誰か手伝って欲しいよ、まったく。)

一区画ゆっくり歩く。
標識のポールに手を伸ばす彼女。
B:「疲れた?
いいよ、ちょっと休もうかぁ」

S:「いいえ、ポールプレイでもお見せしようかと思って」

(???
ポールプレイって、
ポールに足からめて、のけ反る、
あのセクシーダンスのこと?)

B:「今度酔ってない時に見せてもらうよ」

S:「そうかぁ‥」
納得した様子。

ポールにはつかまらせず、
休まず歩く。

(えっ!何?この子、
えっ!
この泥酔状態で冗談言える状態じゃないし、
日頃からポールプレイを?
えっ!ええぇ!
そういう業種の人?)

確かに顔は可愛いが、
抱き抱える右腕が感じるグラマラスなボディ。
急にものすごく気になり始めるが、
今はプレイよりも配達。

わりとすぐマンション。
指さす彼女。
(3分の距離じゃないなぁ…。
1分だなぁ。
酔って歩いたら3分というのをあの時計算できていた?
それとも、
やっぱり見ず知らずの男に自宅を知らせないための嘘?
ほんとは違うマンション?)
いろいろ思いは巡るが。

建物に入ると、
S:「そこです」

そこまで連れて行く。

B:「大丈夫?
鍵はある?
誰か中にいるの?」

S:「To***が」と、うなずく。
(外人の名前だったと思う。
「父さん」ではなかったと思う)

その時、急にしっかりした顔つきで私を見つめ、
S:「あれ?メガネは?」
はっきり質問してくる。

B:「メガネって、貴女の?私の?
私は今日はメガネしてないよ」。
実は最近ステージでサングラスすることが増えたので、
一瞬「あれ?この子、俺のこと知ってるの?」
と思ったけれど、
たぶん、To***さんか父さんがメガネしている人で、
勘違いしたんだろう。

気持ち的には、
ドアを開け、彼女がチャント室内に入るか、
To***さんに「お届け者で〜す」
と渡した方がスッキリ解決するのだが、
私の前でドアを開けるのをためらっているようにも見えるし、
(もうココまで!
私の役目は終わり!
もう十分でしょう。
この先何が起こっても、
私の責任ではないことにさせていただきます。)
自分を納得させ、バイバイ!
彼女も小さくバイバイ。

(ホントにこのマンションだろうなぁ…)
気になったが、
マンション横を通り過ぎる時に、呼び鈴が聞こえていたから、
たぶんTo***さんが中から開けてくれたでしょう。
To***さんがどういう人か知らないし、
ケンカにならないように、とか、
ヤクザさんじゃありませんように、とか、
祈っちゃった私ですが、
余計なお節介でしょう。
もう終わり!

 ・…・…・…・…・

今日、この話をしたら一同大笑い。
でも、驚いたことが一つ!
例の「ポールプレイ」です。
実は、その業種のかただけでなく、
かなり前から一般でもブームになっているとのこと。
マジっすかぁ?
意味わかって踊ってるんでしょうね〜?
女の子が倒立して股おっぴろげて踊るレゲエダンスにも驚愕しましたが。
(だいたい、いつから、
あの踊りをレゲエダンスと呼ぶようになったんだ!
レゲエといえば、
私達世代には反体制、抵抗の音楽だったのに、
股開いて「歓迎」してていいのか?)

若い女性にとっては、物騒な事件が続く世の中です。

「紅さん、
今の話を日記に書いて注意しておいてよ」

そう言われて書いていますが、

エロオヤジは説教しません。
自分で考え、気をつけて下さい。

ホントは、
女性だけに注意を促すのは、
盗っ人猛々しいわけでして。

男も、
自分に娘がいることを想定すれば、
我が娘が、
不安なく、自由に、のびのびと暮らせ、
あらゆる可能性に、
差別なく挑戦していける社会を望むわけで。

なのに、
女の子の眩しい笑顔を目にすると勘違いする。
「いらっしゃいませ〜」
店員の明るい声にさえ好意を感じる。
犯罪者ほど善人を装って近づいてきます。
今朝の私のように?
ヒエェ〜イ 、
私にはコメントできません。
へたなこと言うと、
男からも女からもツツカレます。
なので、

お嬢さん!
ご自分で考え、気をつけて下さい。

せめて、
女子の泥酔一人旅はやめようよ。
男がいない?
豹変しそうなヤツしかいない?

このお嬢さんの名誉のため?に言えば、
たぶん、この子、
毎朝、職場からタクシー利用で帰宅する人で、
信号のところまで来て、
(でも一方通行進入禁止なもので)
いつもそこで降りて、
横断歩道を渡ろうとしたが、
酒がいつもより多く、
なおかつ、雨で路面が滑りやすく、
それで転んじゃったところに私が寄ってきて、
なんだかんだ言われることに返事して、
でも、
トイレも行きたくなってきたので頑張って立ち上がり、
なんだかオジサンに支えられて歩いてたら、
目の前の標識のポールが馴染み深く、
(ここんところは、
私は、プロのポールダンサーだと推測したい)、
オジサンにお礼して喜んでもらおうかという、
優しい心の持ち主、
いい子のような気がします。

オジサンとしても、
思いがけず、
可愛い、グラマラスな女の子との朝帰りを演じちゃったりして。

そして、
私、風邪ひいたかもしれません。
風邪で済んでよかったって?
そうかもしれません。

幸い、
目黒通り沿いの事件報道はありません。


昨日、
ドラムの植松良高さんの訃報を聞きました。
癌と闘っていたことすら知りませんでした。
私が母の緊急手術を理由に、
代わりのベーシストを探す必要のあった時、
「こっちで探すから、お母さんに付いててあげてね」と、
一番助かる一言で応えてくれた人です。
フーテンの寅を自称する、
破天荒だが可愛い人でした。

「植松さんのこともあって、
女の子をほぉっておけなかったんじゃないの?」

かもしれません。

「ありがとうございました。
植松さん、どうぞ安らかに」。合掌。


踊れや踊れ、、。  (2008.6.4[Wed])

先日取材を受けた静岡情報誌「すろーらいふ」から、
「Shizuoka春の芸術祭2008」
の案内をいただきました。

すごいですよ!

5/10〜6/29で、
世界数カ国からアーティストが来て、
静岡内の劇場で演劇や舞踊の祭典。
私が住人だったら全部行きます!

(ホントです!
第10回神奈川国際芸術フェスティバルでは(2003年)、
Philippe Decoufleフィリップ・ドゥクフレ演出、
「IRISイリス」を見て感動し、
スケジュールが見事にラッキーだったので、
東京芸大で一日だけ行われた彼の特別講座と、
山口県の公演2日間を
追っ掛けしたことがあります。
はまる時ははまります。
行く時には行きます。笑)

静岡って、
なんかアートしてませんか?
以前立ち寄った時は、
世界大道芸フェスティバルみたいなのやってました。
私が住んでる横浜も、
みなとみらいランドマークや野毛では大道芸やります。
交通整理が難しいのだろうけれど、
街中が大道芸だったら楽しい街だ〜!
普通に出勤、
いつもの曲がり角にピエロがいたり、
買い物から帰る途中で
火を吹く男がいたり?!
(そりゃぁ驚くが)、
それを許せる街が楽しい!
そう思いません?
パリなんかには、
パフォーマーが必ずストリートしてるし、
街なかにメリーゴーランドがいくつかあって。
回転木馬、
メリーゴーランド、
どちらも、いい響きの言葉です。
キューバも、
街なかに音楽と踊りが溢れていましたね。
室内での創作ダンスや、
妖しいルンバ集団の見学も、
自由に入れちゃったし。
(入っちゃった私がすごいのか?)

田中泯さんが、
映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」(紅日記9/26'07)で、
アジアを周り、
普通の道端や庭先や田んぼで踊っていましたが、
日本も、ヒップホップの若者だけでなく、
パントマイムとか舞踏が普通に見られれば面白いのに。
今これを書いていて、
新横浜あたりですれ違うコスプレの若者達も、
初めて許せるような気がしてきました。笑

昨夜のライブに、
佐渡在住のダンサー、
若林美津枝さんがお客様でいらして下さいました。
NYや世界でも長期滞在で活躍の彼女ですが、
佐渡って、なんか独特の空気感が私の中にはあります。
以前共演した和太鼓集団「鼓童」も、
佐渡を拠点に世界へ出て行っています。
できれば、
佐渡を拠点にしているパフォーマンスは、
一度、佐渡で拝見してみたいと気づきました。
なんか踊りながら歩きたくなっちゃったな〜
通報されちゃうかなぁ〜
、、。、、。、、、、、、。


映画「喜談南海変化玉」  (2008.6.2[Mon])

驚き&嬉しい!

新聞に懐かしい映画タイトルが載っていました。
映画「ヘリウッド」や、
「歌姫魔界をゆく」等の監督、
長嶺高文のプロフィールの中に、
デビュー作「喜談南海変化玉」('78)。
私にとっても
映画音楽監督デビュー作です。
(芸名を使っています。)

喫茶店で、脚本と睨めっこしながら
監督から説明を受けたことや、
集まってくれたミュージシャンのことを思い出します。

録音当日、
スタジオに向かう東横線の中で、
挿入歌の新メロディーが生まれてきて、
急遽、曲を変更!
スタジオに着いてからエライ勢いで譜面を書き、配りました。

録音エンジニアの友人に、
子供に歌を教える「歌のお姉さん」がいると聞き、
これまた急遽呼んでもらってオーディション!
合格!そのままレコーディング。
すごかったですね〜。

ラッシュを見たり、
撮影隊や役者さん達の信念こだわりを垣間見たり。
専門分野の違う人達が大勢集まって一つのモノを創る。
しかも長期作業。

「映画は監督のモノだ」
というのがその時の実感ですが、
おかげさまで、
タイトル曲と挿入歌が、
サウンドトラックSP盤として発売され、
私のデビューレコードになりました。
(ニコニコ)

この録音をきっかけとして、
ブラジル音楽の方から誘われたり、
劇団・TV関係の音楽制作につながったりと、
人生を広げてもらう作品、仕事となりました。
何よりも、
監督や映画スタッフや役者さんや私、
みんな若くてエネルギーに満ちていましたね。
誰にも止められないような勢いがありました。
一種の暴動のような。
それが今、
新聞の映画DVD批評欄に載るというのは、
嬉しい〜!


デビュー話を追加しちゃいます。

役者であり、
劇団「円」等の演出も手掛ける平光拓也さんが、
「怪物ランド」という三人組で、
TV番組「ウソップランド」に脚本・出演していた頃('83〜)、
彼に歌ってもらうために、
『だって、お友達になりたかったんだもん』
という曲を作曲し、
仮で私が歌を入れておいたのですが、
なぜかそれがそのままONAIRになり、
ある期間放映。
テロップで『Song by 紅介』と表示されたもので、
それを見た知人ミュージシャンから問い合わせの電話が。
私の歌手デビューです!

幼少の頃、
素敵なピアノの先生に恵まれ、
ピアノテクニックだけではなく、
作曲の楽しさも教えてもらいました。
プロではありませんが、
作曲家デビューは小学校2年。(笑)
クラスのグループ別発表会で演劇をやった時に
劇中歌を作りました。
ニ短調自然短音階ペンタトニックメロディーで、
ずいぶんと演歌調でした。

楽器のプロデビューは高校3年です。
エレキベースや
ブッシュネット
(クラリネットに似た小さい楽器で、
自分的にはサックスのつもりでした)
を担当し、
同級生でバンド(ロック、ポップス、フリージャズ、混ぜこぜバンド)。
喫茶店を借りきって、
パーティー券を売りライブ。
未成年でしたから違法ですね。

20代では、
フリージャズ系バンドで、
全身白塗り舞踏の伴奏をしたり、
思い出深い「野々村明子ダンスユニット:
名古屋セントラルパーク公演'85」では
(伴奏:イサオ・ササキTrio)、
自作曲の、非日常的態位解釈に異常快感を覚え、
以来、
ダンスとのコラボがヤミツキになリました。
(意味わかります?笑)

今また思い出しましたが、
19才でプロ入りした時、
勉強とアルバイトを兼ねて、
大人達のバンドに入り、キャバレーで演奏。
時々ショーで入るストリップの時、
先輩達が私をからかって、
フリージャズみたいに踊り子に合わせて演奏してみろ、
と指示され、
真に受けて必死で踊り子さんに付けてソロベース。
そうしたら、
踊り子さんにすごく喜んでもらって、
嬉しかった経験があるんです。
あれが、
ダンスとのコラボ開眼だったかもしれません。

浅草育ちで、
小さい頃に日舞の稽古は見ていましたし、
母親に手を引かれ楽屋にも入ってました。
舞踊原体験ですね。

白黒無声映画に音をつけたこともあります。

2003年新国立劇場『世阿弥』
(音楽監修:仙波清彦)で、
導入部に流れたソロベースは私が弾いています。


書いてみるとずいぶんありますね、デビュー話。
おおやけにできないデビューもありますが、
「言わずもがな。
聞くのは野暮よ」、、。

19才で始めたウッドベース、
楽器を手にして半年でプロ入りというのもスゴイけれど、
今も現役で仕事しているのが奇跡的ラッキー!
出会い運の良さが、
今日まで喜びを与えてくれていています。
出会った人達のおかげです。
いつか報いたいと思ってきましたが、
一方では傷つけてしまった人もいます。

30年前のデビュー作タイトルを新聞で目にし、
人生のミラクルを、
感慨をもって振り返る私です。
でも、
元気もらいました!


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